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バイエルン放送交響楽団 2009年 日本公演 |
【 2009年11月15日(日) at サントリーホール 】 首席指揮者:マリス・ヤンソンス ■ ブラームス : 交響曲第2番 ニ長調 Op.73 ■ チャイコフスキー : 交響曲第5番 ホ短調 Op.64 アンコール ■ シベリウス :悲しいワルツ ■ ヨーゼフ・シュトラウス :ポルカ・シュネル『憂いもなく』 op.271 |
本日の公演からヨーヨー・マさんがいないので、心にぽっかり穴があいたような、でもやっぱりヤンソンスさん&バイエルン放送響の演奏は楽しみで、複雑な気分でサントリーホールへ向かいました。 これまで本当に楽しい3公演でした。本日で4公演目、そして次の日で終わりです(涙) とても楽しいと、でももうすぐ終わってしまう・・・! と、悲しみまで比例してしまいます。 サントリーホールはほぼ満席でした。これまでの2公演は空席が目立って残念に思っていました(どちらも名演だったのに!)。バイエルン放送響の皆さんも、嬉しそうに座席を見まわされていました。 本日はチェロのセバスチャンは舞台に立っていました。良かったです(…って、何が?!)。でも、セバスチャンとセバ弟の位置が入れ替わっています。ヤンソンスさんの握手の順番から見ても、セバ弟が首席だったようです。この基準が分からないのですが、曲によって違うのでしょうか? イスラエルのビオラの方は本日お休みでした。この方も私、好きなのです〜♪ 熱気溢れる拍手の中、ブラームスの第2番が始まりました。 とても素晴らしい出だし。そして演奏でした。 でも、今日の舞台にはヨーヨー・マさんがいないのです(涙) 昨日も私の視界の中ではマさんはチラリとしか見えませんでした。でも、確実にチェロの末席でマさんは演奏されていたのですよね。 両脇のチェロの方たちも笑顔で演奏されていました。でも今日は皆真剣そのもの。 マさんの音楽を楽しませる力ってすごいなぁと改めて感じました(笑顔で演奏すれば良いというものではありませんが)。皆に演奏をする余裕を分けてくれるというか。 そう考えると、すごく悲しくなって目に涙が溜まってしまいました・・・ 演奏もすごくいいので、それも交じり合って、自分でも何だか分からなくなってしまいました。 私はきっと、今後ブラームスの2番を聴くたびに、そのチェロの末席にマさんの姿を探してしまうのだろうなぁと思います。 その中でもセバスチャンは時々セバ弟だったりビオラだったり後列の人だったりをじっと見つめて、ヨーヨ・マ流(?)アイコンタクトを取られていました。元々そうされている方なのかもしれませんが、マさんの気持ちを引き継がれているのかなぁ・・・v なんて、勝手に想像に浸っていました(爆) ヤンソンスさんもとても格好よかったです! 今回、初めてヤンソンスさんの指揮をたっぷり堪能したような気もします(笑) これが私の本来の目的だったのに! 何てことだ。 本日のヤンソンスさん。前半も後半も譜台無しでした。得意中の得意という曲なのでしょうか?! ブラームスの第2番の希望に満ち溢れた第4楽章は何度聴いてもいいですね。聴いていると、元気が出てきます! で、再度言いますがヤンソンスさんが格好いいんだなぁ〜v きゃ〜っvvv 演奏が終わった後の満足感&幸せ感は格別でした。最後のリズムと管の音色が頭の中をグルグルします。第4楽章だけでもエンドレスで聴きたいです。 前半にこの曲だなんて、贅沢すぎるプログラムです〜〜〜v 本日は、NHK-FMで生放送されておりまして、その影響か普段NHKホールに出没されているのではないかと思われるブラボー隊(?)の方たちがいらっしゃいました。 この演奏にブラボーは当然だとは思いますが、ちょっとやりすぎ感があって、軽すぎる気がするのですよね(何ででしょう・・・)。 後半、ヤンソンスさんが登場されても「ブラボー!」って叫んでいましたし、違うんじゃない?と。ラジオの放送に自分の声を入れたいだけなのではと疑いたくなってしまいます。 ちょっとそこが残念でした。今日はNHK音楽祭じゃないんだからね!と。 >でも、録音したラジオを聴いてみると、丁度好い塩梅で「ブラボー!」って入っていました(汗) 複雑…。あなたたちは、プロのサクラですか?! と聞きたくなってしまいます。 休憩中はマさんがいない舞台の寂しさに はーーーっとため息ついておりましたが、後半です。 コンマス席に座られたのは、(愛しの)バラホフスキーさんでした!!! 今までのコンサートマスターさんがこの休憩中に急に痩せた訳ではありません(何度も見直してしまいました)。確かに、目の前にいるのはバラさんです! きゃ〜〜〜っ!!! 来ていたのですね。ようこそ、東京へ! バラさんにたくさん拍手をしてしまいました。 再びテンション急上昇! 私のヤンソンス祭り(一応、ヤンソンスさん祭りなのですよね。今回の私のテーマは・・・)の後半が始まったような気がしました。 バイエルン放送響のバラさんって、素敵なのですよね〜v マさんのいない寂しさも、少し軽くなりました。>本当、どうして?って位に寂しかったのです… チャイコフスキーの第5番といいますと、私はゲルギエフさんがジャンプしながら指揮をされていたことを思い出します。そして「孤独」という言葉とロシア(ソ連?)の寒々しい大地。寂しそうなゲルギエフさんの背中も頭に浮かんできます… どこのオーケストラだったかは記憶にないのですが(マリインスキーさんかしら)聴いたことがあります♪ バイエルン放送響の第5番は、ドイツだなぁと私は思いました。寒々しいというよりも、広々とした緑の大地(それでもやはり、大地が頭に浮かぶのですよね)。そして、色々な感情。力強かったり、切なかったり、少し暖かだったり… 明日でバイエルン放送響の皆さんの音色ともお別れか…という悲しみも見つけることが出来ました(苦笑) でも、不思議なのですが目の前にある音楽は、まぎれもなく「チャイコフスキー」でした。ドイツのチャイコフスキー。何の違和感も無く、私たちはその音楽を受け止めることが出来るのです。 演奏されている皆様は真剣そのもの! 弦パートはものすごく激しく弓を動かされているのですね(クライマックスなど特に)! 皆、めちゃくちゃ格好いい! 管も、ヴァイオリンも、チェロも、ビオラも、一体になっています。 第2楽章や第4楽章でしょうか。ものすごく盛り上がってから、一度音を切って無音の状態を2秒程作った部分が数回あったと思うのですが、それも聴き手の心をぐっと惹きつけました。音がふわっと空中を舞って、ヤンソンスさんの両手の中にシュッと消えていったかのようでした。 第4楽章は、次々と魅力的な旋律(テーマ?)が展開し、演奏される皆さんも格好いいし、ヤンソンスさんもノリにノッているし、こちらもつい心の中で歌いながらリズムを刻んでしまいました。きっと今後この曲を聴いたときは、演奏されている皆さんの姿が頭に浮かぶのだろうなぁ。(それ位、聴いていてワクワクしてしまいました♪) そして、最後の勝利の行進っぽいイメージの部分。ここまで皆で聴いてきたという、会場と舞台との一体感みたいなものも生まれ(私の中で)、終わった時には清々しい気分になりました。 演奏されていた皆さんは、もう汗だくで(そりゃそうですよね…)、チェロのセバスチャンは髪をかきあげた際に右側部分の髪が汗で角みたいに立ち上がってしまい(汗)、でも近くの方たちが誰もそのことを指摘しなかったので(隣のセバ弟とか言ってあげればいいのに)、ずっと角が出来たままでした。 怒涛のような「ブラボー!」が飛び交いました。 指揮台の背もたれ部分に両手置いて客席におじきをするヤンソンスさん。手が滑ってズルッと一度なりましたが、掌の汗のせいでしょうか?! 当然ですが、指揮者の運動量もとてつもないものですよね。 アンコールの2曲目は、ウィーン・フィルのニューイヤーでも(確か)演奏されていたシュトラウスの「憂いもなく」でした。ニューイヤーがきっかけでヤンソンスさんの魔法のような指揮を知った私としては、シュトラウス(どっちのシュトラウスでもいいです)のワルツやポルカってとても嬉しいのです! わーい! もしかしたらNHK-FMで放送されているので、最後は明るく楽しくなる曲がいいかな…と決められたのではないかと想像します♪ この曲は途中で「ハッ、ハッ、ハッ…」と、団員さんたちの掛け声が入るのですが、バラホフスキーさんは無視(ひどくないですか?涙)、セバスチャンは恥ずかしそうな感じで、セバ弟もちょっと恥ずかしそう…って、ではこの声は誰が出しているの? と、気になったりしました。 途中、ヤンソンスさんは指揮をせずに両手を下ろし、目と息遣い(というかオーケストラに任せていたというか)で演奏を進められていました。こんな所も、ニューイヤーっぽくていいですね♪ 演奏終了後は楽屋口でヤンソンスさんのサイン会がありました。 ものすごい列でした… サントリーホールの楽屋口を知っている方は分かると思うのですが、あの駐車場の坂の途中にある階段よりもさらに並んでいました。 私は友人と一緒に (というよりも友人に便乗して?!) チェロのセバスチャンにサインをいただいてきました♪ 柔らかいお声の、優しい青年でしたv 顔良し、演奏良し、性格良し…って、すごすぎますよっ! (↓ジャケット写真、そのまんまの青年です) これで格好良いサインなど考えたら、さらに好感度アップでしょう(笑) 横にチェロのイラストを描くとか…(素敵ではないですか?!) 今日も大変充実した公演でした。しかも、本日の演奏はNHK-FMで放送されたため何度も聴くことが出来るというのですから(アンコール2曲まできちんと放送されていました)、嬉しい限りです。 楽しい週末となりました。 2009年11月17日 記 |
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