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軽井沢大賀ホール 2009春の音楽祭
マリア・ジョアン・ピリス ピアノリサイタル

【 2009年5月4日(月) at 軽井沢大賀ホール 】
チェロ:パヴェル・ゴムツィアコフ / 尺八:柿堺 香


■ ベートーヴェン:チェロとピアノのためのソナタ 第2番 ト短調
■ ベートーヴェン:創作主題による32の変奏曲 ハ短調

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■ 尺八:手向(タムケ)
■ ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調「テンペスト」
■ 尺八:虚空(コクウ)
■ ベートーヴェン:チェロとピアノのためのソナタ 第3番 イ長調
■ 尺八:山谷(サンヤ)

アンコール
■ バッハ:パストラーレ ※チェロとピアノ
元々はピリスさんのベートーヴェン ピアノソナタ第31番が聴きたくて軽井沢行きを決意したのですが、大幅な内容変更により第31番の影も形も無くなってしまいました(苦笑)
でも、いいのです! ピリスさんの演奏をもう一度聴く機会を作る後押しをしてくれたのですから。
都内で聴くのとは違って少し遠出をして聴くコンサートは、いつも以上に心に残ります。新幹線のチケットを取るために時刻表を調べるところから、この旅は始まっています。そして新幹線の中でのワクワクが高まって行く気持ち! 駅に着いた時がクライマックスです!>開演前に8割方終わってしまったかのよう(あはは)なかなか出来ない贅沢ですが、贅沢をした時は思う存分楽しんでしまいます。

本日の会場 大賀ホールは軽井沢の駅前にあるのですが、軽井沢駅を降りてみると とても寒い…
私、軽井沢が避暑地だということをすっかり忘れていました(汗) ジャケットの下は半袖着ていますし(東京は暑かったので)、コートを着ている人もいる中、この服装は完全に浮いていました。
日焼け対策に日傘持参で気合が入っていたのですが、空は薄暗く、逆に帰りに雨が降って来て、この日傘は雨傘として大活躍しました(涙)

芝生と水に囲まれた場所にこのホールはあり、周りには山が見えて、空気も美味しく、音楽を聴くには最高の場所だと思いました。休憩時間も外に出ることが出来ますし、素敵なホールでした。

今回はピリスさんの手の動きをしっかりと目に焼き付けたい! と思っていましたので1列目のお席を取りました♪ チケットを取る時にホールの方に「舞台が高いので、1列目では手の動きは見えないと思います」と言われ どれほど高いのだろう…と不安でしたが、東京方面で例えるならばミューザ川崎くらいでしょうか(このホールの舞台も少し高めでしたよね?! 横浜みなとみらいホールだったかな)。ちょっと自信が無いのですが東京にもこの位の高さのホールはありますし、視界に全く問題はありませんでした。
むしろ問題があったのは、チェロが左手に座りますのでチェロソナタの時は譜台とチェロが邪魔してピリスさんのお姿どころかゴムツィアコフさんのお顔すら見えない状態だったことです(汗) でも音がバシバシ伝わって来ましたし、ピアノソロの時はとてもよく両手の動きが見えましたので、本当に幸せな時間を過ごすことが出来ましたv

ホールに入ると、今までのように(?)立札が。
まずは「演奏者の強い希望により、曲間の拍手は御遠慮下さい。」

…やはり、紀尾井ホールのあの雰囲気は嫌だったのかな、と。ピアノと出入口の扉を行き来する時間を短縮してでもすぐに次の曲に入りたそうな感じでしたので。もしかしたらショパンプロの時の雰囲気にこちらが慣れてしまったのかもしれませんが…慣れてしまうと、曲間の拍手無しって客席も集中しますし気持ちの良いものです。>曲間のわざとらしくさえ感じる咳もありませんし
ショパンプロのように舞台の右手に椅子3つ(今回はゴムツィアコフさん、譜めくりさん、尺八の柿堺さんの分です)とテーブルがありました。

もう1つが「演奏者の希望により、本日の曲目を下記の通り変更させて頂きます。」

そうですよね。紀尾井ホールと同じく、テンペストと創作主題による〜が逆になるのですよね、と思いながら文章を目で追っていましたら、…尺八?!

しゃ、尺八…?

何度読んでも「尺八」の文字。後半のテンペストとチェロソナタ第3番の前に入っています。
???????

コンサートでの曲目の流れをとても大事にされるピリスさん。そのピリスさんが「尺八」を入れるだなんて、私には想像出来ませんでした。しかし受け取ったプログラムに入っていたピリスさんからのメッセージを読んで納得です(これはアナウンスもされました)。以下のように書かれていました。

『 私は日本と日本の文化をこよなく愛しています。
特に尺八の音色は私の心を魅了します。
現実を超える宗教的、精神的世界を表現する尺八の音色は
ベートーヴェンの内面的精神性と
深くつながっていると考えます。
この2つの世界(尺八とベートーヴェンの曲
それぞれがおりなす世界)を同時に経験し、
洋の東西を問わず共通する深い精神性を皆様と共有したく、
尺八奏者の柿堺香さんをお招きしました。
本公演で、皆様と一緒に、共感、共鳴できますことを嬉しく思います。

マリア・ジョアン・ピリス 』

さらに開演前のアナウンスで「本日曲目の変更があり、最後は尺八の演奏になります。」とのこと!
後半は尺八で始まり、尺八で締めるプログラムとなりました。ピリスさんの考えた本日のための世界とはどのようなものなのか、私も楽しみになりました。

舞台にピリスさんとゴムツィアコフさんが登場!
恐らく 武蔵野文化会館、紀尾井ホール での衣装と同じで、上が光沢のあるグレー、下が薄いブラウンのスカート、ピリスさんらしい落ち着いた色合い&服でした。ゴムツィアコフさんは下のズボンは恐らくグレーのスーツ系のものですが、上がピリスさんと雰囲気を合わせたラフな感じのチャイナ服の上っぽいものでした(これを何と言うのか分からないので上手く表現出来ないのですが)。

1曲目。
紀尾井ホールではほとんど聴きなれない曲ばかりで曲を追うので精一杯でしたが、今回はもう頭に入っていますので(紀尾井ホール公演で覚えました!)、一緒に心で歌いながら全て楽しませていただきました。個人的には、同じプログラムを2回耳にするって良いです。頭と耳にしっかりと記憶を残すことが出来ますのでv

ゴムツィアコフさんのチェロの音色は、やはり目の前で生音を聴くのがいいと思います。今回もチェロの振動や音色にドキドキ&ワクワクでした。強い音を出す方では無いので耳だけでは印象に残りづらいのですが、近くで聴きますとチェロの振動が心に直接伝わってくるのです。弓を弦に力強く当てる瞬間の空気とか。
前日LFJでアンリ・ドマルケットさんのチェロの音色を体感してきましたが、タイプが違います。ドマルケットさんはソリストだな、と思います。演奏を聴いていても「チェロが主役」と感じます。チェロの主張がしっかりしていて素敵です。「これはチェロのための曲なのだ」と伝わって来ます。
ゴムツィアコフさんのチェロはチェロソナタでありながら「チェロは伴奏」という感じ。悪い意味では無くて、優しい音色で主張せずピアノを上手く引き立てています。だからと言ってピアノが勝ってしまうのではなく、そこが御2人の息があっている素晴らしい点なのだと思いますが。(ゴムツィアコフさんのソロも一度聴いてみたいです。たぶん、違うような雰囲気になるかと思います。)
私はチェロのことは分かりませんが、ピリスさんと一緒に弾かれる位なのだからさぞかし上手いのだろう…と思われそうですが、ゴムツィアコフさんはそこまで飛びぬけて上手い訳では無いと思います(失礼ながら)。でもピリスさんとの音楽の相性はとてもいいのだということは分かります。本当、親子みたいに1つにまとまった音楽の世界を表現して下さいます。

さて、「ジャン…」というピアノとチェロの1音に続き、しばらくの間をおき(この間がピリスさんならではの時間でとても良いです♪)ピアノの旋律が流れ、このチェロソナタ第2番ト短調は始ります。

ピリスさんとゴムツィアコフさんとの独特の世界。
曲が始まったとたんに、私にとっては今回これが最後のリサイタルなのだということが頭の中を横切り、終わりへのカウントダウンが始まり、もう悲しくて悲しくて仕方がありませんでした。
丁度1年前のLFJでミシェル・ダルベルト先生のシューベルトを連日聴き通した時の最後の方の感覚と同じでしょうか。あの時も毎日ホールの座席に着くのが楽しくて、幸せでしたから。
そう思うと余計に御2人の情緒的な音色が心に沁みてきました…(涙)

御2人にとっては、これはチェロソナタでは無くてピアノソナタなのです、きっと。優しく、意志のあるピリスさんのピアノの音色が最大限に活かされ輝いていましたから(第3楽章なんて特にそうですよね! 聴き手の私たちは、ピリスさんのピアノに手を引かれながら一緒に心が駈け出してしまったかのようです)。そして、それを守るかのように周りからチェロの音色が響いてくるのです。そこにはピアノとチェロとの自然な会話が存在して…
これはピリスさんの作られた世界ですよね。曲目はチェロソナタであっても、立派なピアノリサイタルの中での1曲だと私は思います。

私は今回チェロソナタの予習にペレーニ&シフのアルバムを使いましたが、同じ曲でも全然雰囲気が違いました。チェロのピアノのバランスがまず違いますし、また曲の流れ(1つの旋律を考えた時の切れ目とでもいうのでしょうか)の考え方が違うと思います。
ピリスさんとゴムツィアコフさんのベートーヴェンのアルバムも出してほしいなぁと思います。御2人の演奏でなければ、今回のリサイタルを頭の中でもう一度思い起こすことが出来ませんから(笑)

オーギュスタン・デュメイさんのベートーヴェンのヴァイオリンソナタや協奏曲を聴いていても、横に作曲家のベートーヴェンの存在を強く感じるのですが、ピリスさんのベートーヴェンの演奏を聴いていてもそれを感じました。
私はベートーヴェンがどのような人だったか、どのような時代背景の中でこれらの曲を作り上げたのかは簡単な本や映画を観た位の知識しかありません。でも「ベートーヴェン」という人を考えた時にいつも同じイメージや気持ちを持つ部分があります。今回、それが再び心の中に浮かび上がって来ました。いつかデュメイさんとピリスさんとのベートーヴェンを生で聴いてみたいなぁ…

1曲目が終わり、ゴムツィアコフさんがそろり、そろり、と右手の椅子に移動される中、「バーーーン!!!」と2曲目の創作主題による32の変奏曲が始まりました。

初めてこの曲の手の動きを見ましたが、すごく格好良いですね!!! きゃ〜vって感じでした。
ほぼ左右対称に両手を広げて演奏される部分もあったり(よく分かりませんが、他の曲に比べて両手をフルに使っているように感じました)、ほとんど激し目な曲調のようで、ベートーヴェンの心の激しい部分を表現されたかのようですが、でもこれは解説によると「どういうわけかベートーヴェンは作品番号を付けていません。技法の追求のために書いたのかもしれません。」とのこと。技法の追求のためにこれだけ情熱的な曲を作ったのならベートヴェンはすごいな、と思いますし(言うまでもなくすごい方ですけれども)、またそのような曲にこれだけの表情を付けられるピリスさんもすごいな、と。
ピリスさん、格好良かったです!

ソナタなどに比べると短い曲ではありますが、聴き手が受け取る情報量・ドキドキ感はソナタと同様です。右手と左手の間から生み出される宇宙…エネルギー…、今回私はそれをしっかりと感じてきました。小さい体からどうしてあれほど大きな世界を生み出すことが出来るのか不思議です。ご自身の命を削って音楽を表現されているかのようでもあり「もういいですから! これで十分ですから!」と、演奏後に舞台から去られる時の後ろ姿を見ると思ってしまいました。すごい演奏の後ってピリスさんのお背中、とても小さく感じるのです(涙)

後半は、興味心身の尺八の演奏です!
ピリスさん、袴姿の柿堺さん、ゴムツィアコフさん、の順で舞台へ登場。柿堺さんは男性の方でした(お名前がどちらとも取れるので、女性なのかなと思っていました)。

尺八初体験の私としては、尺八の演奏がどうなのかなどは分かりません(当たり前ですね)。ですが、色々感じることがありました。

まず、私はやはり日本人なのだな… と。
不思議なのですがピアノや弦を聴くよりも、尺八の音色を聴いている時の方が体がリラックス出来ました。ゴムツィアコフさんのチェロ以上に優しく、万人を受け入れてくれるかのような音色でした。
尺八だからか竹林のイメージが頭の中に広がって、尺八のメロディに乗って竹林から森林、そして草原へ、時代も現代からベートーヴェンのいた過去へと柿堺さんが連れて行ってくれたような気がしました。最後の1音をが終わって口を尺八から離すまでの間もいいですね。
これから始まるベートーヴェンの世界への心のウォーミングアップと言う感じ。尺八とベートーヴェン、2つの組み合わせに違和感はありませんでした。びっくりです!

そしてピリスさんの「ポロロン…」とピアノが鳴り、柿堺さんが静かに右手の椅子に座るまでの時間を上手く間に取って、テンペストが始まりました。
尺八のゆっくりとした、でもしっかりとした芯の感じられた演奏に続いて、情熱的(?)な心を揺さぶるようなテンペストの第1楽章。こちらも気分が高揚してしまったからか、ホール内の温度を上げたのか分りませんが、急に暑くなってしまいました。
1曲1曲終わって行くのが悲しいし、でも素晴らしい演奏を次々と目の前で聴き・感じることが出来て嬉しいしで、心の中は忙しかったです(笑)

所々に間を置き、時には力強く打ち込み、そうかと思うと優しい音色に変わったり… 起承転結のある物語を見ているかのようでした。特に強弱を意識されている部分などが、きゃ〜vvv って感じでハマってしまいました。第3楽章はピリスさんの表現する音の波にこちらも埋もれてしまいました。
大満足! 拍手が出来ないのが辛い所ですが、心の中でたくさん拍手をさせていただきました。
また、ベートーヴェンのピアノソナタの名曲は第31番だけではないのだな、と感じました(私は第31番が好きなので…)。私はピアノソナタを全部聴いたことはないのですが、今後1曲1曲を大切に聴いて行こう、と思いました。
第31番の時もそうでしたが、こうやって曲の魅力を教えていただくと、後でCDを聴いた時に何度聴いても飽きないですね。心の中に自分の聴きどころが出来上がっていますから。

また、リサイタルツアー(?)前半のショパンのプログラムを思い出すと、ショパンとベートーヴェンの音楽は違うのだなということが同じ演奏家を通じて少し分かったような気がしました。(ベートーヴェンの方が情熱的、野性的だと私は感じたのですが…果たして。)

テンペストを聴いた興奮を掻き消し、また心を無にして下さるかのように尺八の演奏。今度は少し長めの曲です。私はどこが終わりかが全く分かりませんでしたが、演奏中に移動されるゴムツィアコフさんはどのようにそれを判断されるのかな、と思っていました。
途中、ブォン、ブォン… と激しく吹かれる部分があり(といってもこれは演奏の半ばだったのですが)、それを合図にゴムツィアコフさんはチェロの弓を持たれて移動の準備をされていたようでした。

優しいチェロの音色から始まり、輝くようなピアノの音色につながるチェロソナタ第3番。紀尾井ホール公演の後で「チェロソナタ第3番は名曲よね〜 私は特に好きだわ」としみじみと語っていたおば様がいらっしゃいましたが、私も今回の2公演でそれを実感しました。
先ほど私はこの御2人にとってチェロソナタはピアノソナタだと書きましたが、ベートーヴェン自身、ピアノを活かすように作曲されていますよね(ヴァイオリンソナタでもそうですが)! この曲を聴くと改めてそう感じます。ピアノの旋律を大事にされているなぁと。
チェロとピアノの会話を意識されているのとか、すごく伝わって来ます。第3楽章の最後は爽やかに終わり、ラストにはふさわしい曲でした。

本当のラストは尺八。
先程とは違って、とても短い曲。旅をしていた私たちの心を、再び日本へ、そして現代へと柿堺さんが呼び戻してくれました。

今回ピリスさんの公演を4ヶ所で聴いて感じたことは、ピリスさんはピアノそのものだけでピアノの世界を表現されたがっている訳ではないのでは、ということです。
ゴムツィアコフさんの演奏を半分(時間で言うとチェロの方が多い)入れているのはゴムツィアコフさんを世間に広めようと言うのではなく、チェロとピアノとのハーモニーの中で、ピアノの素晴らしさを伝えていきたい、と思っているからなのだと思います。でなければ、ああいうチェロの表現にはならないはずです(苦笑)
この公演で尺八を交えられたことにより、より強く思いました。ピリスさんの表現手段はピアノですが、ピリスさんの目線にはピアノだけではなく音楽そのものの大きな世界があって、それをピアノを交えてどう形にするかを考えていらっしゃるのではと。
デュメイさんはその表現方法の1つとして指揮者の道を歩まれていますが、現状に踏みとどまらず常に前へ前へと進んで音楽を追求されている演奏家の姿を拝見出来るのは、どの演奏家でも感激してしまいます。音楽に限らず自分もそういった気持ちでいなくては、と反省させられます。
何十年とピリスさんの演奏を聴き続けているファンの方もたくさんいらっしゃるようですが(すごい! というかそれだけ長い間 同じ時間と世界を共有できているなんて羨ましい!)そういうピリスさんのお姿に感銘を受けているからなのでしょうね。

武蔵野文化会館のリサイタルから始まり、大変楽しい2週間でした。ここまでピリスさんを聴き通すことが出来るのは今後もう無いのでは…と思う位に世界を満喫いたしました♪
ありがとうございました。本当、どの公演も素晴らしかったです!
秋に再び来日されるようですが、出来れば聴きに行きたいですし、これからもずっと応援して行きたいと思います。ピアノの世界は疎い私ですが、ピリスさん(そしてダルベルト先生)の演奏を通じて、少しずつ知って行けたらと思っています。

2009年5月5日 記

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